●「柳宗理 エッセイ」柳宗理*1

モデルチェンジでも中味の進歩と共に必然的に出てくるモデルチェンジなら、これは健全なモデルチェンジであろう。しかし、モデルチェンジと喧しくいっている会社ほど中味は概して陳腐なものが多い。もっとも中味が下らないから、表だけでもスタイリングを派手にし、厚化粧するということは無理からぬことかもしれない。
このようなことを言うと馬鹿正直過ぎるというかもしれない。しかし、イヴァンの馬鹿者であっても、良いものを創りたいという意欲とその喜びは十分その苦労を補って余りあるものだと思っている。さあ、よい仕事をしよう。
          ・・・・・p77〜78 

何も古いものをそのまま伝えるのが伝統とは限らない。環境の変化に応じて、真摯に物が造られれば、それこそ本当の伝統の継承と言えるだろう。そして今日の生きた民藝と言えるのではなかろうか。
          ・・・・・p113

機械でなくては表現出来ない清潔で簡明な姿をしています。機械製品は手工藝品にはない独特の美しさがあり、又、手工藝品は手工藝でなくては醸しだせない美しさがあるはずなのです。手工藝品が美しいからといって、機械でそれを真似て造っても、到底、もとの手工藝品にはかなわないでしょう。又、その逆も言えるわけです。但し、良さそのものの価値については、両者優劣はないはずです。
          ・・・・・p122

●「パンが残ったら…―recettes de pain perdu」上野万梨子著*2
●「パリのフローリスト」ジュウ・ドゥ・ポゥム著*3

*1:

柳宗理 エッセイ

柳宗理 エッセイ

*2:

パンが残ったら…―recettes de pain perdu

パンが残ったら…―recettes de pain perdu

*3:

パリのフローリスト

パリのフローリスト